父の死を皮切りに、
夫の長兄、義母、三人の叔父が立て続けに亡くなりました。
棺に収められた死に顔は誰も穏やかな表情でした。
昨年から母も入退院を繰り返し、
ふくよかだった体型も今では骨皮となり見るに忍びません。
認知症も徐々に進行しているので、
過去の恨み節を聞かされることも無くなり、
本人にとって忘れていくことは、せめてもの救いなのかも知れません。
人の死に方は様々ですが、
金井先生の著書「死者はほほえむ」に記述されていますように、
「。。。私は眼を閉じ、心を無にして意識を遺体の上に向け、
あるがままを、あるがままに見ようとしました。
するとそこでは確かに人が踊りを踊っていたのです。
喜びに満ちて自由に身体を動かし、歓喜を表現していました。
真っ赤な炎に乗って、ときにゆっくりと優雅に、
ときに激しく情熱を込めて踊っていました。そして薄らぎ消えていきました。
。。。
残された人々の悲しみや思惑も、金持ちも貧乏人も、生前に信仰していた宗教も、
どのような死に方をしたか、安楽な死だったか、悲惨な死だったか、
何もかもすべてが死者にとっては無関係でした。
それらはすべて、残った人々だけに関わることだったのです」
何れ母も黄泉の国へ旅立つ日もそう遠くはないと思いますが、
師が体験されたことによって、
未だ生かされている私自身にとっての救いともなります。