母の叫び声

今日の夕刻、台所で夕食の準備をしていると、
母の部屋から、「父ちゃ~ん、早く迎えに来てはいよ~」
と大声で叫ぶ声が聞こえてきた。
私は、「またか!」とその叫び声を聞いても慌てずもせず、
その自己主張する様に、ふ~っと溜息だけが出る。
母に、「どうしたの?」と訊くこともできるが、
何時ものことながら、母の愚痴を延々に聞く羽目になるので、
あえて訊かないようにしている。
母の「何時死んでもいい」と言うのは聞き慣れているし、
大声を出すうちは元気があるからと余り気にもかけない。

昨日はNHKの瞑想教室日で,
金井先生の著書 「ふたたび生まれ変わるあなたに」 ~はじめに①~を題材にしました。
はじめに①の解説書に記述されている一部をご紹介したいと思います。

人生と苦しみ
・・・・生まれてから死ぬまで社会の中で生きていく人生には苦しみがつきまとうことは
避けられないのです。それではなぜ他の存在と関わることで苦しみが生じるのでしょう
か?そもそも苦しみとは、単純化して言えば、「思い通りにならない」、ということです。
自分の思い通りにならない場合がすべて苦しみになるとは限りませんが、苦しみがある
ときには必ず何かが自分の思い通りになっていないのです。
なぜ自分の思い通りにならないのでしょうか?
具体的にはその時々いろいろな原因があるでしょうが、根本的には、自分と他の存在と
の間に違いがあるからです。違いが何もなければ、自分が考えたことや感じたことなど、
すべてがそのまま対象となる存在に通用するので、「思い通りにならない」ということは
起こり得ません。しかし自分と他の存在との間に違いがあるために、自分の考えや感じ
がそのまま通用せず、結果として「思い通りにならない」ということになるわけです。

苦しみと自我
上記のように、私たち人間にとって「思い通りにならない」ということは避けようがありませ
ん。生きている限り常に何らかの「思い通りにならない」ことがあり続けるのです。
この問題を解決するためには、つまり自分の思い通りにしようとすれば、相手を変えるか
自分を変えるしかありません。そして多くの場合に人間は、ほとんど無意識に、自分を変
えるのではなく相手を変えようとします。
それが相手に対する要求や批判や不満となるわけです。
しかし人生の経験をある程度積めばわかることですが、相手を変えることは基本的には不
可能なことです。ですから、問題の解決は自分を変えるしかないことになります。

母は自分が変わろうとはせず、と言うよりも自分に非は無い、悪いところはみじんの欠片
も無いと思っているので、自分自身を救う道は閉ざされ、相手への批判や不満が募る一
方で苦しみの中に生きています。

「死んだら天国に、あるいは地獄に行くというのは、間違いです。天国も地獄も、今ここに
いる自分の中にあるのであり、それ以外のどこにも存在しないのです」
と「すべてを受け入れて自由になる」の著書に記述されていますように、幸せな人は、天
国と共に生きているのであり、不幸な人は、地獄を引きずって生きているのです。
苦しみから解放されるためには、
相手を変えようとはせず、瞑想によって自分を変えるしかありません。