今月の教室終了後、生徒さんと久しぶりの食事会をしました。
教室とは違った雰囲気の中、
食事をしながらの解放感もあって、生徒さんが日頃溜まっていく
ストレスの話しで盛り上がりました。
その時の話しを大まかにまとめてみました。
生徒さん達の都合上、イニシャルも控えます。
🌸—–さん
私には3 姉弟いるのですが、姉弟たちは両親の介護を全面放棄し
、先々月父が亡くなりはしたのですが、未だ母が生きています。
父の介護からやっと解放されても、母の介護は続いています。
もうほとほと疲れ切り、とんだ貧乏くじを引いた!と後悔しています。
どうしたら解決するんでしょうか?
🍀—–さん
主人が仕事を辞めた途端、若年性アルツハイマー型認知症に。
主人に代わって稼ぎ頭になり、実家の母に面倒をみて貰っている
ものの徘徊癖があり、その癖のせいで母も疲れ切っています。
母のおかげで仕事が出来てすごく感謝もしているし… 今の状況ではどうすることもできません。母に申し訳なくて…
🍅—–さん
私は他県から嫁いできたのですが、事情があって慰謝料、養育費も
もらわず離婚し、子供達と懸命に頑張って生きてきました。
頑張れたのも両親が影になり日向になり支えてくれたおかげです。
その両親も相次いで亡くなり、心の支えがなくなった今、
何もする気が起こらず、仕事をする意欲も無くなって休職中です。
💚—–さん
私は義両親の面倒もとてもみることもできないし、元々家事も苦手だ
し嫌いだし、だから自宅近くの老人ホームに入所させたのは良かった
んだけど高齢にしては大食いで、「飯が足りん!早く家に連れて帰れ!」
困ったもんだと思ってます。
食事会に参加された生徒さん達もそれぞれの理由があり、
昭和20、30年代に生まれた私達は両親、義両親は既に高齢で、
避けて通れない深刻な介護問題が生じてきます。
私も両親の介護申請で多忙な日々を送っています。
父、母ともに頑固さでは苦労していますが、頑固過ぎる父に腹立つ
日もあれば、逆に若い時の面影も無い姿に涙することも度々です。
これが最後の綱と覚悟した病院で、脳梗塞、心不全、癌、水頭症、
が判明し、今になって思い返すと十数年前から双極性障害
(躁鬱病)の兆候が出始めていたことに納得がいきました。
前々から、「畳の上で死にたい。」と言っていましたので、
自宅療養で、可能な限り父の望みを叶えてあげたいと思います。
そして、昨年11月に脳細胞破壊の病(現在も進行中)から始まり、
父と比例するかのように母も双極性障害があり、
夫婦仲は日を追う毎に異常を期し、劣悪な家庭環境の下、
先日やっと介護保険負担割合証、要介護1に認定された介護保険
被保険者証が手元に届きました。
母の病は未だ序の口、
覚悟を決めて向き合う意思の強さが必要になります。
私が幼少だったころの両親の夫婦仲は良かった記憶があります。
それが年月の流れと共に、夫婦仲は険悪な関係へと変貌して行き
ました。両親がお互いを攻め合う姿を見る度に、悲しさが募ります。
お墓に入るのもそう遠くない年齢。仲良くして欲しい…
子は幾つになっても親に求めるところがあります。
知らず知らずのうちに….
今日の食事会は、介護問題を抱えての苦労話が殆どでした。
日頃の憂さを忘れ、ひと時の食事会でも明日への生きる励み
の場として、年に2、3回ほど食事会ができたらと考えています。
しかし考えてみれば、私達もいずれ介護をして貰う側になります。
介護する側からすると体力的、精神的なストレスは半端では無く、
後々経済的問題にもなり兼ねませんし、事は厄介になっていく一方
です。それは一先ず横に置いて、介護される側の気持ちを知れば、
自分の心身のバランスを第一に優先しながら、
何等かの良い工夫が見つかるのではないでしょうか?
益々高齢化社会に直面している現代。理想論になりますが、
私達に小さな愛が目覚めたとき、今よりもっとご高齢の方々に
心も軽く心地良い暮らしができたら…そう思います。