あと一歩

もう二十数年前頃からだと思いますが、
母は毎日のように、仏壇の前で般若心経を唱えています。
が日常では、文句や小言が絶えません。
私の心の中では、
「いつも不満ばかりを口にしている母にとって、般若心経を唱えて
一体何になるんだろう?」と批判的でした。
瞑想を始めて数年目、その事を金井先生にお話したのですが、
「もう後一歩なんだけどね。」と言葉が返ってきました。
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あと一歩? あと一歩とは何なんだろう? 意味不明?
その金井先生の言葉の意味が理解できるまでには、瞑想と
ある程度の時間が私には必要でした。
そして或る日突然に、その言葉の意味が解けました。
母のように常日頃は不平不満を抱えていたとしても、
仏壇を前にして、般若心経を唱えている時間だけは、
心が落ち着き、心安らかになれて、一時でも救われている状態
なのかも知れません。
母には般若心経を唱える資格などないと思っていた自分は、
何と傲慢で相手の気持ちを思いやる優しさに欠けていたのです。
現在に至っても般若心経を唱え、それに加わって神棚、
外に向かって、何やらお願い事をしているようですが、
相も変わらず小言や文句の絶えない日々を過ごしています。
誰しも完全ではないのですから。
今年3月中旬、昼間こたつでぼんやりしていた時、
母が神に感じられ、母にも同等の存在価値が在ると感じました。